ここは地の果てアルジェリア


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この物語はアルジェリア地中海沿岸西部の街オラン(カミュのペストの舞台となった街)郊外のアルズーという港町で建設された液化石油ガス(ジャンボLPG)工場で、一九八二年から一九八三年にかけて、アルジェリア人の技術指導をしたときの体験記である。
当時私はポー(Pau)という小さな街に住んでおり、職探しをしていた。ポーがどこにあるかと言えば、フランスはパリから六00キロメートル南西に下ったボルドーから、さらに二00キロメートル離れた小さな大学都市で、そこからさらに二00キロメートル東に行くと航空産業で有名なトゥールーズがあり隣町はカトリック信者の聖地ルルドがある。そんな大都市の狭間にあり年金生活者が多く、バカンス客の避暑地という町がポーの一面である。
なぜなら、年中暖かいし、五月にはバイヨン、ビアリッツなどの大西洋海岸が海開きをし、ヌーディストたちが華麗に闊歩する。同じ時期にまだピレネー山脈ではスキーが楽しめる。ピレネーの山中には観光立国アンドラがあってここもすばらしい。

さて技術指導の職であるが、半年くらい前から職探しを始め、雑誌を何誌かそのために買い求めていたのが私の目にとまった。フランスの一般雑誌に掲載されていた求人広告がそれである。やったー、適職だと思った。
液化石油ガスコンビナ―ト(ジャンボLPG)における現地人スタッフの教育であったが、工場建設は日本の大手企業、技術教育はスイス籍の企業(実質的にはフランスの企業)、生徒はアルジェリア人で、毎日の生徒たちとのふれあい、同僚のフランス人、私のボス、トゥールーズ人(フランス人)取締役のオランダ人、以下、ベルギー人、イタリア人、ギニア人、スイス人たちとの付き合いをコミカルに、時に生々しく綴ってみた。
私自身は、石油化学プラント(石油化学コンビナートの中核をなすエチレンプラント)の設計、試運転・教育の経験を持つ技術者で、北京・房山、アルジェリア東部・スキクダに赴任後会社を辞め、前述のポーに留学し、一年後にはまたしても同じスキクダに、今度は契約社員として舞い戻った。そこを一年後には辞め、再度ポーに舞い戻り契約を探して数ヶ月後には、アルジェリア西部の町オラン郊外で勤務することとなった。求人広告でみつけたスイスの会社は偶然にも、日本企業の協力会社として、アルジェリア人の技術教育を請け負っていた。
海外生活は中国を皮切りにアルジェリア、フランス、アルジェリア、西アフリカと足掛け十年いたであろうか。

アルジェリアには三度目の赴任であるが、外国企業の契約社員としてはこれが初めてである。この物語では、内側から見たフランス企業、彼らの仕事ぶり、生活ぶりを書いているが、それと共に、同じアルジェリアでも視点が違えば、今まで見たり聞いたり、体験したこととは生活の印象などかなり違っているのを発見でき、この時の印象は強烈だった。それまでは日本企業で働き、通勤バスで宿舎と現場の往復をする毎日であったし、現場も宿舎も囲われていて付近の住民と接する機会なんて無かった。おまけにフランス語もろくにできないからコミュニケーションが取れない。それでは外国に来た一割も楽しんでいないと筆者は思う。
アルジェリア人の生徒をはじめ、彼等との接触が以前いた東部のスキクダでの経験と比べても格段に想像を絶する世界であった。テレビ、雑誌、旅行情報、マスコミ情報などが氾濫し、欧米に限らず世界の秘境や多数の国の歴史、文化、生活習慣が報道され、私たちはかなりのことを知っているような気になっているが、意外とそこに住む人々の考え方や生き方は知られていないと思う。そういった意味で、他のフランス人同僚と共に生活し、仕事をし、彼らを観察できた。それは長いそして大変な一年だった。
私に大きな影響を与えてくれたムッシュ・ガリッグその他多くの方々に感謝したい。
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